
社会人3年目のある日、新人時代の上司である宮内(現 常務取締役)から連絡がありました。
ビー・スタイルが創業して1年経った頃で、営業を探していたようでした。「一度、社長の三原に会ってくれ」と言われ、会った1時間後には「一緒にやらせてください」と握手している自分がいました。
当時の会社でトップ営業の経験があったため、参画することに不安は全くありませんでした。しかし、予想に反し全く売れない。「同じ業界とはいえ、市場に認知されていないものはここまで難しいのか」と痛感し、「どうすれば売れるのか?」「売れない理由は何なのか?」を徹底的に考え続け、試行錯誤を重ねていきました。
数百社訪問しましたが、成果は出ない。担当者は口を揃えてこう言います。
「良い商品だということはわかった。でも前例がないから導入できない」。
「導入して失敗したら、誰が責任を取らされるのかわかっているの?」という担当者の本音が隠されていました。
そこで、「担当者、課長、部長レベルがダメなら、トップに判断してもらおう」と、アプローチの手法を変えました。新しい人材サービスであるビー・スタイルのビジネスモデルを広めるため、経営トップに会談を申し込まないといけないと考えたのです。この戦略のもと、当時26歳の僕に7名の部下が与えられ「戦略営業本部」という部署が立ち上がりました。
日本の名だたる経営者に向けて「業務分析と人件費削減の提言書」という内容の手紙を送り始めました。その数200社以上。後に「M1作戦」と呼ばれるこの手法が功を奏し、名もないベンチャー企業が送った1枚の手紙がきっかけで、半年後には誰もが知る大手化粧品会社や金融機関から受注を獲得。さらに半年後には世界的に有名な日本を代表する大手自動車会社からも受注をいただき、社内は一気に活気づきました。
この成功が評価され、私はマネージャーに昇格。2005年7月のことです。しかし、軌道に乗ったと思ったのはほんのわずか。その後、再び低迷の時期を迎えることになります。
次は新規事業の立上を任されたのですが、結果が出ず撤退。地獄のような毎日で、今でも思い出すのが辛いほどの経験をしました。
その後、元の派遣事業部(HRR)へ戻された私を待っていたのは、リーマンショックで急激に業績が悪化している人材市場でした。しかも派遣会社の存続に大きな影響を与える「派遣法の改正」も噂され、不透明な毎日が続いていました。そこで法改正後、「世の中は一気に派遣から業務請負業に移行する」という予測の元、業務請負事業をスタート。私もその立ち上げに携わりました。
優秀な人材はたくさん集まるのですが、肝心のクライアントからのオーダーがなく苦しい戦いを強いられました。そして私の率いる営業チームの成績は、社内ダントツの最下位。
肝心のチームメンバーからは「あの人、なに考えているかわからない!」と、不平不満が続出。最悪のムードが部内に立ちこめました。社交辞令や表面的なコミュニケーションが苦手な私の性格が災いしたことはあきらかでした。今思い返せば「チームとしての成果」を重視しなかった当然の結果でした。
そんな私を見かねた社長の三原に呼び出され、こう言われました。
「マネージャーの中で最下位だぞ!分かってるのか!」と。「ただ、お前が考えていることは正しい。だから、考えていることを何でもいいから周りに話せ。まずそこからはじめてみろ。」
この日から私は無視されても、あきらめずに自分の考え、思いを周囲に発信し続けました。チーム内のムードが徐々に良くなるのが実感できるようになりました。
しかし結局、業務請負事業は一年足らずで暗礁に乗り上げてしまいました。優秀な登録スタッフを多数抱えたまま、次の事業の柱を創出することは、経営の安定と、スタッフの生活を考えると最優先の課題でした。日々ブレストが繰り返され、様々な事業が検証されました。
「優秀な登録スタッフはビー・スタイルの宝。この人たちをなんとか活かせないものか」。
スキルが高く、正社員志向を強く持つ女性を中心とした登録スタッフ。スキルは即戦力以上のものを持っています。そんなある日、「派遣社員が派遣先の社員になれない不満を解消するようなサービスのしくみはないかなぁ」と三原がつぶやきました。これを聞いてピーンときました。「だったら社員になれるような商品や制度を作ればいい。優秀なスタッフには推薦状を書いて、企業に正規雇用してもらいませんか」。
この話しがきっかけとなり、新事業「社会人インターンRe-ing」が誕生しました。このRe-ingのしくみは、ビー・スタイルが厳選したスタッフを「社会人インターン」として派遣社員、もしくは契約社員としてクライアントが採用、3年後をめどに正社員として採用するかどうかの判断をしてもらうというものでした。これで企業には十分な検討期間を設けて人材を安心して雇用するというメリットがあり、スタッフも努力すれば3年後には正社員として雇用されるというメリットがあり、まさにWINWINの商品です。(http://www.re-ing.jp/mechanism/index.html)。
全てを任された私は、すぐさま営業活動を開始。始めてみるとお客様の評価も高く、数多くの発注がすぐにいただけました。これまでにない手応えです。ここ数年の苦労が報われた瞬間でした。
結果、事業立ち上げ一年目は1億6000万円。2年目で5億円の収益を叩き出し、ビー・スタイルの事業の柱の一つに育ちつつあります。現在も私はこのRe-ingサービスの事業責任者として日々奮闘しています。新たな採用の仕組み(社会人インターン)を世の中のスタンダードにしていきたい。
競合他社の参入も想定できるので、誰にも真似のできないサービスを付加することで、先駆者の実力を見せつけようと思っています。
学生時代は、体育会のラクロス部に所属していました。
「もしドラ」ではありませんが、部の運営に企業のマネジメント理論、マーケティング理論を導入しており、「どうやったら他の部より多く新入生を獲得できるか」「日本一になるためにはどんな戦略、戦術が必要か」を考え実行していました。目標から逆算して考えることを学んだ期間だったといえます。
就職活動では「成長したい」「厳しい環境に身をおきたい」と考えており金融業界や営業職を中心に見ていました。複数社から内定をもらい、最後2社で迷っていたときのことです。
A社は「今は何もないけど、この規模だから自分で会社が創れる。面白いと思わない?あんなこともこんなこともしたいと思ってるんだ!」と話す人事担当に対し、B社は「君がやりたいことは全て用意されている。豊富な資金力もある。有利なのはうちだよ」と言われ、迷わずA社を選びました。
「はじめからすべて用意されているなんてつまらない。別にそれは求めていない。」と思ったのです。
今、就職活動している皆さんも、しっかりと自分のコアになるものを持って臨んで欲しいなと思います。上辺だけの意見は人事担当から見透かされますし、口ベタでも良いから自分の考えを言うべきです。結果的に最良の選択ができるのはそういう人だと思います。































