
営業へ配属になって2年目のことです。当時、ビー・スタイルで最大のクライアントを先輩から引き継ぐことになりました。その先輩は、ベテランのトップ営業マンで、新規事業の立ち上げメンバーとして異動することになったのです。そこで、その先輩の後任として白羽の矢がたったのが私。クライアントとのリレーション力を買われての抜擢でした。これにより、私の年間売上予算は3億円ほど。正直プレッシャーから「私には無理です」と弱音を吐いてしまいました。先輩からは、「お前がやらなくて誰がやるんだ」と言われ、「もうやるしかないな」と覚悟を決めたことを今でも覚えています。
私の良さなのかわかりませんが、迷ったら「やってみる」という性格があります。このときも、「とりあえずやってから考えよう」と思い、取り組んでみました。
幸いなことに、他の大手のクライアントからも大型の受注を頂き、私の担当する派遣スタッフの人数は200名を超えました。通常、100名前後の稼動を担当するのが平均の中、私は約2倍の数のマネジメントを引き受けることになりました。
今でこそ、知識と経験がついたので、どのタイミングでどういう仕事をすれば、しっかりとマネジメントができるというコツはつかみましたが、この頃は、営業2年目。上司であるマネージャーも自分の担当顧客を持っていたので十分なフォローも受けられません。まさに「わたしがやるしかない」状況でした。
しかし、現実は甘くありません。
私のマネジメントの甘さから、クレームにつぐクレーム。同じミスを繰り返し、自分でも「どうして、できないんだろう?」と抜けられない闇の中を歩いているようでした。
あるとき、同行営業をした役員の宮内に、こう漏らしました。
「私、営業に向いていないと思うんです。営業外してください」
すると宮内はこう言いました。
「たった2年で、向いているかいないかなんてわからないよ。俺なんか、10年以上営業やっているけど、いまだに向いているかどうか自分でもわからないよ」
この言葉を聞いて、少し気持ちが楽になりました。
また、上司の水澤宏美からは、「あせらなくていいんだよ。一つ一つ自分のできることから改善していこうよ」と声をかけられました。
たしかに、キャパオーバーの業務量と売上を守らなければというプレッシャーで、知らず知らずに自分を追い込んでしまい、自分らしさが失われていた気がしました。
私の良さは、行動力と誰とでも距離を縮めて話せる対応力。もう一度、自分の良さをいかして、逃げずにお客様・担当しているスタッフと向き合い、話し合いました。
そうすると、少しずつ失ってしまった信頼を取り戻せてきたことが実感できました。
私は、学生時代にタイの山岳村に国際ボランティアで行った事があります。
きっかけも、たまたま母の友人の紹介で、「とりあえず行ってみよう」と飛び込んでみたことでした。
ところが、タイの山岳村は、自分の想像を超えて貧困で厳しい環境でした。
そこで、わたしのできることは本当に限られています。「自分には何ができるのか?」
自分なりに考えてみました。
私の母は、保育園の保母さんをしていて、私は三人兄弟の長女。子供たちのお世話は小さいころから自然にできました。
そこで、「子供たちに簡単な英語を教えながら一緒に遊ぼう」
とりあえず自分のできることを一生懸命やってみたのです。
そうすると、タイの子供たちはすごく喜んでくれて、お礼に虫を炒めたおやつをくれました。今考えると学生のころから、自分のできることで人を喜ばすことが好きだったのかもしれません。
私は、就職活動を「自分が成長できるところ」という軸で探していました。
そうすると、自然と大手の仕組みが整った会社よりもベンチャー企業の話に共感をもちました。その中でビー・スタイルを選んだのは、正直「勘」です。(笑)
でも、「この人たちと一緒に仕事をしたら、成長できそう」と思ったのは確かです。
ただ、そのころはそれほど、ビー・スタイルのサービスを深く理解していたわけではありません。
ただ、今は自己成長よりも、お客様にビー・スタイルのサービスを提供し、お客様の成長をサポートしたいという意識のほうが強くなりました。
それは、ビー・スタイルのサービスの良さを実感しているのと、私に期待してくれるお客様に応えたいという想いからです。
またグループリーダーとなりましたので、一緒にいるメンバーがビー・スタイルで働いたことを幸せだと思えるような、職場を作っていくのも私の役割だと思っています。
もっともっと、世の中にビー・スタイルのサービスを広めて、いずれは海外支社のメンバーになるという野望もあります。
でも、上司にもらった言葉、「あせらず一歩一歩」を忘れずに、これからもがんばっていきたいと思います。






























