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手段を選ばず、女性であることも捨てて、すべてを犠牲にするといった執念と覚悟がなければ、ナンバーワンの座は手に入りません。私はテニスプレーヤーである前に、一人の人間でありたかったし、一人の女性でありたかった。 テニスは、私の人生の一部に過ぎません。
一生の運をテニスだけに使ってしまうのではなく、
ほかのことにも取っておきたかったのです。 |
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| 三原 |
1996年に引退後、どんな生活をしていましたか。 |
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| 伊達 |
2年ほど、テニスから完全に離れていました。毎日、楽しかったですね。最初にしたのは、
ぬか床をもらってきて、ぬか漬けを漬けたことです。現役の時にはツアーばかりで、旅が日常でしたら、とにかく家にいられることが喜びでしたね。気の向くまま、夜更かしして、朝寝坊して…。
華道や着付け、ペン習字、料理なども習いました。現役時代はテニス一色の生活を送ってきたので、それ以外にやりたいことがたくさんありました。一つずつトライしていたら、どんどん広がっていたという感じです。 |
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| 三原 |
子供向けテニス体験教室の「カモン! キッズテニス」も始めました。 |
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| 伊達 |
気ままな生活を送る中で、子供たちがテニスをしている写真を見たのです。自分がテニスを始めた時の気持ちを思い出しました。「雨が降ろうが、雪が降ろうが、テニスコートに行きたかった。
テニスが楽しくて仕方なかった。そんな時期が私にもあったな」って。結果的にプロの世界に足を踏み入れ、普通ならなかなか経験できないような、良いこともつらいこともたくさん味わいました。テニスを通じて精神的に鍛えられましたし、一つのことをやり遂げた自信が、ほかの分野にも挑戦する力を与えてくれました。そうしたものを何か1つ持つことで人間的にも成長できるのだと気づくきっかけを子供たちに作ってあげたかったのです。音楽でも何でもいいと思いますが、私がきっかけを提供できるのはスポーツだと考えました。 |
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| 三原 |
2002年以降、JICAのオフィシャルサポーターも務めています。 |
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| 伊達 |
その前から毎年1回は必ず発展途上国に行って、親善活動をしていました。子供はどこでも同じだということが何よりも感じたことですね。体を動かしていると、どの子も目をキラキラと輝かせます。これは世界共通の姿ですね。もちろん貧しい国では、道具がそろわないとか、家の手伝いをしなくてはならないなどといった理由で、そう簡単にテニスをする子供が増えるわけではないとは分かっています。でも、一度でも一緒にテニスをしたら、その時に感じた楽しさが何かに挑戦しようという勇気に変わることがあるかもしれないし、「生きていればまた良いことがある」という希望になるかもしれない。そう信じて、取り組んできました。 |
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| 三原 |
96年に引退してからの約12年間で、最も大きかった“気づき”は何ですか? |
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| 伊達 |
テニスはやっぱり素晴らしいスポーツだということですね。 |
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No.02へつづく |